責任の無限性
あの痛ましい兵庫県のJR列車事故。「救助もせずにそのまま出社した」とか「ボーリング大会をしてはしご酒だった」とか、様々な報道がされています・・・。
「青年の思索のために」(新潮文庫)から、「責任の無限性」という一文を引用抜粋して紹介します。この事件から考えさせられたということもありましたし、自分自身の仕事に自戒の意味を込めて・・・・。
「人間の責任の範囲に限界はない。人間は、ただそれぞれに責任の中心点を異にするのみである。我々は生活の便宜上、仕事の範囲に一定の限界を設けるが、それがただちに責任の限界を意味すると思ったら、仕事は仕事としての価値を失ってしまうであろう。それは、愛がその範囲を限られた場合、愛としての価値を失ってしまうのと同様である」。最近、自分の担当する組織以外の経営者の方から、電話や来客応対する場合に、上記の言葉を噛み締めるようにしています。「誰がどこを担当しているか」は内部の問題であって、電話に出た人間や応対した人間が、その組織の担当窓口であると考えるのが、外にいる人間にとっては当然だと思うからです。
そして、立場や境遇を越えて、今現場で何が起こっているか、そのことがどれだけ急ぐことで重要か。その判断を常にしていかねばならいとも思いました・・・。
自分があの組織の中にいて、同じような立場にあったらどう行動しただろうか・・・。人間としての行動は、外にいる客観的状況にあればすぐに判断できます。しかしあの「組織」の中にいたとしたらどうしていただろうか・・・。私は自分自身を疑ってしまいます。そういう一般的な常識的行動が希薄になってしまう恐ろしさが、「組織」というものは作り出してしまうのですから。
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